岸見一郎さんの『嫌われる勇気』を改めて読んでいます。
2013年に初めて読んだ時の衝撃は凄まじかったですが、今また読み返してみると、ちっとも精彩は失われておらず、この6年でどれほどの人がこの本に影響されてきたのだろうと思いを馳せました。
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今回は読書感想を書こうと思ってメモを取りながら読み進めているのですが、ページごとにハッとする言葉が現れてくるので、書き留めきれないくらいです。
一つの記事にまとめるのはムリなので、いくつかの記事に分けて感想を書きたいと思います。
『嫌われる勇気』は、老いた哲人の元に訪れた青年と、哲人との対話形式で進みます。青年は相当なこじらせ男子です。
第一夜では、アドラー心理学の真髄「目的論」が語られます。
最初読んだ時はこの「目的論」が目からウロコすぎて、自分の考え方が一変しました。
世界ではフロイト、ユングと並ぶ三大巨頭のひとりとして必ず名前が挙げられるアドラーですが、日本ではこの本が出るまであまり知られていませんでした。
フロイトの心理学が問題の原因を過去に求める「原因論」なら、アドラーは過去の「原因」ではなく、今の「目的」を考える「目的論」です。
引きこもりの友人の例を出して、彼がこうなってしまったのは家庭環境などの過去に原因があると言い張る青年に対して、哲人は「目的論」的考え方を説明します。
ご友人には「外に出ない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえているのです。アドラー心理学では、これを「目的論」と呼びます。
引きこもりの彼は外に出ないことで家族が自分を腫れ物のように扱い心配してくれ、引きこもってさえいれば外の世界でチャレンジしなくてすむ、という彼にとっての得があるから、引きこもるために感情を捏造しているのだと哲人は言います。
これは当事者からすると、相当手厳しい言い方ですよね。
ところが原因論に立脚する人々、例えば一般的なカウンセラーや精神科医は、ただ「あなたが苦しんでいるのは、過去のここに原因がある」と指摘するだけ、また「だからあなたは悪くないのだ」と慰めるダメで終わってしまいます。いわゆるトラウマの議論などは、原因論の典型です。
アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します。
しかし、アドラーはトラウマの議論を否定するなかで、こう語っています。「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック-いわゆるトラウマ-に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与えられる意味によって自らを決定するのである」と。
なんでアドラーが目的論の立場をとるかというと、自分自身がその「目的」を選んでいるなら、自分で選ばないこともできる、という風に、問題を「取り扱い可能」な形にするためです。
確かにフロイト的な考え方では、取り除くべき原因は過去にあるので、もう変えられないし取り除けない、と手詰まりになってしまいます。
われわれはタイムマシンで過去にさかのぼることなどできませんし、時計の針は巻き戻せません。もしもあなたが原因論の住人になってしまえば、過去に縛られたまま、この先ずっと幸せになることができなくなります。(中略)過去がすべてを決定し、過去が変えられないのであれば、今日を生きるわれわれは人生に対してなんら有効な手立てを打てなくなってしまう。その結果、どうなりますか?世界に絶望し、人生をあきらめるようなニヒリズムやペシミズムに行き着くことになるでしょう。
アドラー心理学は、厳しいことを言いますが、実は優しい心理学なんです。
でもやっぱり言葉は厳しくて、他人をうらやみ、自分ではない何者かになりたがる青年に対しても、バッサリ。自分は知人と比べて持たざる者であり、不幸であると嘆く青年に対して哲人は、
あなたは人生のどこかの段階で、「不幸であること」を選ばれた。それは、あなたが不幸な境遇に生まれたからでも、不幸な状況に陥ったからでもありません。「不幸であること」がご自身にとっての「善(注釈:「自分のためになること」の意」)」だと判断した、ということなのです。
あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからなのです。(中略)もしも「このままのわたし」であり続けていれば、目の前の出来事にどう対処すればいいか、そしてその結果どんなことが起こるのか、経験から推測できます。いわば、乗り慣れた車を運転しているような状態です。多少のガタがきていても、織り込み済みで乗りこなすことができるわけです。
一方、新しいライフスタイルを選んでしまったら、新しい自分になにが起きるかもわからないし、目の前の出来事にどう対処すればいいかもわかりません。(中略)つまり人は、いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心なのです。
と言います。
青年、涙目。
ではどうすれば良いのか?と問う青年に哲人は、
あなたがいま、いちばん最初にやるべきことはなにか。それは「いまのライフスタイルをやめる」という決心です。
アドラーの目的論は「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」といっているのです。自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きるあなたなのだ、と。
と道を示します。
これまでのライフスタイルをやめる。これってめちゃくちゃ勇気がいることですよね。
自分も周りも、自分はこういう人間だという型をすでに持っちゃってるので、今さら変えるなんて、自分も居心地悪いし、周りからも「どしたの?」って訝しがられたくないと思っちゃう。
でもそれが、自分の世界のあり方を変える唯一無二の方法だとしたら・・・?
次の記事では、これまた目からウロコだった「課題の分離」について書きたいと思います。
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