「自分探し」
という言葉が流行って廃れて、揶揄の対象になってからどれくらい経つでしょう。
私はアラフォーになってから大学で勉強をし直したのですが(今はもう修了)その当時、同僚に大学で勉強していることを伝えたら、
どこ目指してんの?
その歳で自分探し?
自分なんて探しても結局見つからないよ。
と言われました。
その時すんごい違和感を覚えたんですが、言葉が咄嗟に出てこず、何も言い返せませんでした。
後からじっくり考えてみると、違和感の正体は、彼の言う「自分探し」と私の思う「自分探し」の定義が違っていたからなのかもしれないと思いました。
私の定義では「自分探し」は、何が自分にフィットするか、実験的にたくさんのことを試すことです。
例えるなら枕探しと一緒。
私たち、生まれ落ちてから、しばらく(相当しばらく)の間は、誰かから与えられた枕で眠ります。
子供なら、養育者が選んだ枕だったり、大人になっても旅先では、ホテルから貸与された枕で眠ります。
でもある時、枕は自分で選べるというアイディアに巡り合います。
枕は睡眠の要だとも。
たしかに、睡眠は人生の三分の一を占める重要な生命活動です。
でも本気で自分にぴったりの枕を枕専門店で探し当て、高い値段で購入した人は、どれほどいるんでしょう?
私たちは、なんとか工夫し、量販店の安い枕を何個か試しては捨てたり、枕をせずに寝てみたり、ついには巻いたバスタオルに落ち着いたりします。
そうしているうちに、体の方もその枕に馴染んでいたりします。
結局は何が正解だったのか、わからなくなります。
それでいいんだと思います。
朝、目覚めて、ああ、よく寝たな。
夜、ベッドに体を横たえて、ああ、気持ちいい。
それが全て。
その「今、ここ」の気分の良さを頼りに、生きていけばいいんだと思います。
慣れ親しんだものに違和感を覚えれば、また探せばいいんです。
高い枕を買ったからって、それがしっくりくるとも限りません。
あるときは、誰かの腕枕が自分にとって最良の枕だったりするかもしれません。
あるときは、枕なしがいい時もあるでしょう。
今、ここにある体と心にフィットする状態を探すこと。
それが私にとっての自分探しです。
というようなことを、あの時の同僚に言ってやりてえわ。
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